こんにちは、赤ちゃん
さみしい
お腹が空いた
どこ行くの
ねむたい
おかあさん
ここどこ
おとうさん
暑い
冷たい
こわい
赤ちゃんってその色んなことを
言葉じゃない何かで伝えてるし
言葉じゃない何かで伝えられてる
泣いたり、笑ったり、見つめたり、バタバタしたり
撫でられたり、トントンされたり、笑い声を聞いたり
伝えられなくてもどかしいと思う
でも「もどかしい」も「相手に伝わってない」も
自分が感じ得るものの名称も知らないし
全てが初めて
私は日々のあれやこれやのことを知ることができているのかなぁと考えたときに、知ることに慣れてしまっているなぁと思った
なんかもったいない
知れることや教えてもらえることすごい大事なこと
赤ちゃんの頃は親が「こんなこともできるようになったのね」って言ってくれてるのかもしれないけど、大人(相応しい言葉か分かんないけど)になると成長に伴った自己評価ができる
自己評価って偏るんだよな〜
私に至ってはとってもネガティブなんだよな〜
「知ってて当たり前」
だなんて
そ〜んな悲しいこと言うなよ〜
その「当たり前」を押し付けずに〜
知ることを大事にしようと思いました
わしゃ赤ちゃんになる、いや、なれないけど
自分を大事にする?
いつも自分の経験からこれは信じれる信じれない
とかの直感で行動するんだけど、みんな生まれたてじゃないから、泣いたり笑ったり手足をバタバタさせて伝えるコミュニケーションだけじゃないから、ちゃんと見ないと、物事も人間も
言葉や文字や駆け引きや躊躇いや声色や、色んなことを学び知り得てしまったが故に、色んな手段で近づいたり遠ざかったり戸惑ってしまったり予知してしまったり翻弄されたり翻弄したり
なんて難しいサイクルなんだ
だから赤ちゃんは尊い
言葉がない世界で自分のできる最大限のことで相手に表現するの、いかに難しいか
そんな限られた世界で生きる赤ちゃんすごい
赤ちゃんとかもう言ってられない、赤様です
でも、自分の中で勝手に難しく思ってるのが
赤様も赤様じゃない人もみんな表現したものの貰い手がいないとコミュニケーションが成り立たないこと
いくら泣いても喚いても頭良さそうに見えてもそうでなくても手足を振っても、かんかん照りの砂漠の中でも都会の中にいても、ヤッホーって言ったことに気づいてもらえないんじゃきっと心が乏しくて貧しくて生きた心地しないと思う
私がヤッホーって言える人は誰だ
いつも「どうせあなたもどっか行っちゃう」って思っては諦めてる
諦めたくないものも諦めなければいけないこともどちらもあるはずなのに前提とするのはその恐れで
心を開いたら、はしゃがなくなるし、あと、
無言で落ち着ける関係だからこそ話さなくなる
あなたが離れないということに安心してはいけない
けど、側にいてくれるから沢山お返しする
楽しい時はめいっぱい笑うよ
その誰か分からない「あなた」にも環境にも
こういうこと伝えることはできる
私の頭の中はいっつもぐるぐるしてて
考えなくていいこと考えてる
「考えすぎ」って言われちゃうんだよね、よく
昔ねねとのダブルベットの横の本棚に魔法陣グルグルって漫画があったな
ほんっとグルグルって魔法陣だ
それなのに私の行動は軽率で浅はか
反省文6万字レベル
私は私だなんてこういうときに割り切れる人間でもない
んー、そりゃ愛してもらえないぜ〜
愛して欲しいのなら愛さないと
ヤッホー